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自殺

「死にたい?じゃあ死ねばいいじゃん」なんて正しいのか?

こんにちは。現役高校生の露結あずさ(つゆゆいあずさ)です。

私は2年半以上仏教を学んできた経験がありますが、仏教の教えに出会うまでは本気で自殺を考えていました。

自分に生きる意味もないと思っていたし、さっさと死んだほうが楽だと思っていたんですね。

みなさんもそういう経験は無いでしょうか?

生きる意味が見つからず、死ぬのはなんとなく怖いからただただ生きているだけ。

そういう人も多いと思います。

ですが、そういう人たちに向かってこう言う人もいるんですね。

死にたい?じゃあ死ねばいいじゃん。どうせ生きる意味もないし。

つまりは、「死ぬかどうかは本人の意思だからどっちでもいいじゃん」という人ですね。

確かに生きていくのはそれだけでつらいし、死ぬことを考える日もあるかもしれません。

ですが、本当に死んでしまっていいのでしょうか。

それを仏教の視点から明らかにしていきます。

それではさっそくいきましょう!

最初に結論

今日の記事は長ったらしいので最初に結論を言います。

仏教の教えを発見したブッダはこう言っていますね。

私たちには死ぬまでにやらないといけないことがある。それを果たすまでは生きろ。

明快でストレートな言葉ですね。

つまりは仏教の視点はこういうものです。

「死にたい?じゃあ死ねばいいじゃん。どうせ生きる意味もないし」は間違っている。

結論がわかったところで、なぜ仏教ではこのように言われるのかを説明していきます。

それではまず、自殺するということがどういうことなのかを深く理解しないといけないですね。

自分の人生は終わり?

自殺というのは自分を殺すと書くように、自分の人生を終わらせることです。

残りの人生は苦しみだらけだから、早く人生が終わってほしいと思って自殺したいということになるんですよね。

たとえば毎日すごい暴力を受けていたり、ストレスが溜まっていたりすると逃げ出したくなります。

それで苦しみから逃れるには人生を終わらせるしかないと思い、自殺に至るんですね。

こういう事例もあります。

沖縄県那覇市立の中学校内で、部活動の副顧問だった40代男性教諭からキスをされるなどのわいせつ行為を受けた当時3年の女子生徒が、高校進学後の2014年12月29日に自ら命を絶っていたことが分かった。

16歳だった。

母親が22日までに琉球新報の取材に答えた。

生徒はわいせつ行為を受けた後、「適応障害」「急性ストレス反応」との診断を受けた。

琉球新報

誰にも相談できないで精神をどんどん病んで、自殺に至ってしまったんだと思います。

本当につらいですね。

もし自殺したことによって本人が幸せになれたらいいのですが、実際にはそんなことはないんですね。

この人はつらい現実から逃れたくて自殺をしたんだと思いますが、それで幸せになれたのかはわかりません。

この人は被害者なのに、ここまで追い詰められて幸せになれなかったなんて本当に心が痛いです。

でも現実は厳しいんですね。

仏教でも、自殺しても苦しみを解決することにはならないと言われています。

どういうことなのでしょうか。

自殺するということ

まず、自殺というのは自分を殺すと書きますね。

なので死ぬということです。

未遂は違いますが、自殺して生き返った人というのはいません。

なので自殺というのは死ぬことなんですね。

「自殺したい」というのは「死にたい」という意味です。

じゃあ、死ぬというのはどういうことなのでしょうか?

確かに、死んだら心臓が止まって血液が巡らなくなり、肺も止まって酸素の供給も止まります。

そして脳に栄養が届かなくなって脳も死にます。

ですが、それはあくまで私たちの肉体のことなんですよね。

死んだら私たちの肉体は停止しますが、私たちの心はどうなるのでしょうか。

肉体と精神

仏教では死というのはただ私たちの肉体が壊れるだけであり、精神はなくならないと言われています。

これはどういうことかというと、精神が肉体を作り出すということなんですね。

難しいと思いますが、頑張ってわかりやすく説明します。

まず、精神というのは私たちの心のことです。

「心が傷ついた」とかいう心のことですね。

私たちの中身のことです。

そして肉体というのは私たちの体のことですね。

脳や心臓、肺や筋肉や骨も全部肉体です。

スマホで例えて言えば、肉体はそのスマホ本体のことですね。

画面とかボタンとか、そういうもの全部がスマホの肉体です。

そして精神というのはスマホの中のデータですね。

みなさんのスマホの中にもいろんなアプリとか写真が入っていると思いますが、そういうもの全部がスマホの精神です。

少しはイメージがつかめたでしょうか?

外側が肉体で、中身が精神ということですね。

ですが、実際には精神が私たちの正体なんですよね。

スマホで機種変更するときでも、データさえ移せば以前と同じように使えます。

逆にデータがなかったら1からやり直しです。

そんな感じで、データがいちばん大事な部分です。

同じように、私たちのデータに当たるのが精神なんですね。

なので精神が私たちの本体です。

それじゃあ私たちは死ぬとどうなるのでしょうか?

死ぬ=機種変更

仏教では、死ぬというのはあくまで肉体が壊れただけだと教えられています。

そして、私たちの精神は消えないと言われているんですね。

びっくりしましたか?

普通は死んだら無になってなんにもなくなると考えますよね。

でも仏教では違います。

死んでも精神は残っていて、新しい肉体に引き継がれると言われています。

スマホで言えば、データがネット上に保管されているということですね。

なのでたとえスマホ本体が壊れたとしてもデータは残っていて、何度でも再生します。

信じられないかもしれないですが、みなさんが生まれたときも精神を持って生まれてきたんですよね。

なんの感情も持たない赤ちゃんが生まれてくることは絶対ありません。

同じように、みなさんが死んだとしてもみなさんの本体は無くなりません。

新しい肉体にまた精神がインストールされて、それでまた新しい人生が始まると言われています。

…こういうことを言うと非科学的だとかオカルトだと言われますが、それが私たちの実態なんですね。

ということは、自殺してもまた新しい人生が始まってしまいます。

いくら肉体を破壊しても、精神がなくならない限りはずっと機種変更のループをし続けます。

なので自殺しても根本的な解決にはならないんですね。

もし自殺して今よりもっとひどい環境の世界に生まれたとしたら、なんのために自殺をしたのでしょうか。

これじゃあ死んでも意味ないですよね?

自殺したら幸せになれると思って自殺したのに、さらに不幸になるなんて悲しすぎます。

そして、そのつらい人生でまた自殺を選ぶかもしれません。

そうなると永遠に苦しみ続けることになりますね。

ということは自殺をするだけ不幸になるということになります。

それじゃあなんで私たちは死にたいと思ってしまうのでしょうか?

なんで死にたいのか

それはただ1つ、つらい人生をわざわざ生きていく意味がわからないからです。

それはどういうことかというと、つらいことが自殺の直接的な要因ではないんですね。

確かにつらくなると私たちはなんとなく「死にたい」と思ってしまいますが、本当の原因はそこではありません。

自殺したくなる本当の原因は、自分の人生はどうでもいいと思っていることなのです。

というのはどういうことかというと、自分の人生を価値のないガラクタだと思っているということです。

なので自殺してしまうんですね。

自殺というのは、本質的には自分の人生を捨てるということです。

その自分の人生をガラクタだと思っているからこそ、ゴミをゴミ箱に捨てるような感覚で自殺してしまうのです。

例えるなら、みなさんは超高級の天然ダイヤモンドはゴミ箱に捨てないですよね。

それは価値があるからです。

逆に、鼻をかんだあとの丸めたティッシュはどうでしょうか。

すぐにゴミ箱行きですね。

同じように、自分の人生を大事だと思っている人はかんたんに自殺しません。

そういう人はどんなにつらいことがあっても、そう簡単には自殺しません。

逆に、自分の人生を生ゴミのように思っている人はかんたんに自殺してしまいます。

そういう人はなにかのきっかけですぐに自殺してしまうんですね。

なので人は自分の人生がつらいから自殺するのではなく、自分の人生に価値が見いだせないから自殺するのです。

これはかなり斬新な視点だと思いますが、理解されたでしょうか?

ここで伝えたかったのは、自分の人生の価値を知れば自殺したいとは思わなくなるということですね。

1万円札をゴミ箱に捨てる人なんていないと思いますが、それは価値があるからです。

同じように自分の人生にも価値があると思えば、自分からそれを捨てることはしないはずです。

ですが、自分の人生の価値なんてそう簡単に見つかるのでしょうか?

みんな結局死ぬだけじゃん?

私たちは生まれたからには、必ず死ぬときがやってきます。

それは全員です。

私もみなさんも、必ず死という壁にぶち当たる日がやってきます。

ということは、生まれてきてもみんな結局死ぬだけなんですよね。

どんなにお金を集めても結局は死ぬ日がやってくるし、そのときには好きな人とも別れないといけません。

自分の肉体も弱って最後には停止します。

となると、今死んでもあと数十年後に死んでも同じなんでしょうか?

どうせ死ぬんだったら、苦しい人生今死んだほうがいいと考えてしまうのもわかります。

だっていずれは必ず死ぬときがやってきます。

それが早いか遅いかということであって、死ぬことに変わりはないんですね。

「自殺したら家族が悲しむよ」と言う人もいますが、今死んでもあとで死んでも悲しむ人がいるのは同じです。

それだったら自殺してもいいのでしょうか。

今死んでもあとに死んでも結果が変わらないのなら、今死んでもいいように思えてきますね。

ですが、ブッダはこう言います。

今生きているときにしか果たせない人生の目的がある。

というのは、私たちの人生には生きる意味があるということですね。

ちなみにですが、私たちの生きる意味を本当の意味で明らかにしたのは仏教以外で聞いたことがありません。

ここから先はすさまじい内容が書かれているので覚悟してくださいね。

それではいよいよ、仏教が明らかにした私たちの生きる意味を紹介します。

仏教が明かした生きる意味

私たちの生きる意味、それは私たちの苦しみの根源を断ち切ることです。

難しそうな響きですが詳しく解説します。

まず、仏教では私たちがつらい人生で苦しんでいるのには根本原因があると言われます。

私たちの人生の苦しみを木に例えると、その根本原因は根っこにあたるものです。

どういうことかというと、根っこを断ち切らないと苦しみは終わらないということですね。

私たちはその苦しみの木から生えてくる花ばかりに注目していますが、実はそれは表面的なものです。

例えばお金が足りない、人間関係が上手くいかない、体の調子が悪いという感じです。

確かにそういう苦しみも1つ起きてくるだけでつらいですよね。

それが3つか4つ重なってくるともう絶望です。

しかもそういう苦しみの花はどんどん咲いてくるので、それを一生懸命切り取るだけで人生が終わってしまいます。

そして死んで機種変更したとき、また花が生えてきてそれを切り取らないといけないです。

でもこれじゃあなんのために生きてるのかわからないですよね?

ただただ苦しみの花と戦うだけの人生って苦しいだけです。

私たちは苦しむために生まれてきたのでしょうか。

それは違うと思います。

生まれてきたからには、私たちには幸せになる権利があります。

ですが現状は苦しむだけの人生で終わっている人が大多数です。

それはなぜなのでしょうか?

苦しみの花にばかり注目するからですね。

表面的な苦しみばかり追いかけて一生懸命切り取っても、木が生き残っている限りはもう花が止まることはありません。

違う例えで言えば、火の元を消さずに火の粉にだけ水をかけているようなものです。

それじゃあ一生火は消えないですよね。

それと同じです。

私たちの苦しみにも、実は根本原因があります。

その根っこさえ断ち切ってしまえば、木が枯れるのは時間の問題です。

逆に根っこを切れなければ、木は永遠に枯れません。

なので表面的な苦しみだけに着目せず、根本的な苦しみの原因に対処する必要があります。

そうしないと私たちの苦しい人生は永遠に終わらないんですね。

そしてその根本原因を断ち切ることこそが、私たちの生きる意味です。

夢物語と思われるかもしれないですが、ブッダもこのように言っているんですね。

これはブッダの言葉です。

生きる意味を果たした人は、生きている間のその瞬間に苦悩から解放される。

仏教では自殺ではなく、別の方法で苦悩から解放されることをすすめています。

なので、ブッダは川で自殺しようとしていた人を止められたことがあります。

それが仏教の教えだからなんですね。

じゃあそれでは、なんで自殺しちゃいけないと言い切れるのでしょうか。

なぜ自殺しちゃいけないのか

その理由は、自殺すると生きる意味を果たせなくなるからです。

この生きる意味というのはいつでも果たせるものではなく、いくつもの縁が重なって果たせるものなんですね。

その縁については非常に難しいので言いませんが、みなさんが今その縁の中に入っているのは間違いないです。

たまたま生きる意味に悩んで、たまたまネットで検索して、たまたまこのページに来た。

それだけでもものすごく低い確率です。

まず、縁がない人はここまでやってこれないんですね。

普通の人はこんなことには興味を持ちません。

それでもみなさんはここまで来て、ここまで私の文章を読んでくれています。

どれくらい強い縁かわかりませんね。

ということで、死んでしまうとその縁を失ってしまうことになります。

なのでブッダはこう言うんですね。

私たちには死ぬまでにやらないといけないことがある。それを果たすまでは生きろ。

冒頭でも言いましたが、まさにこのことです。

生きる意味を果たすまでは、どんなにつらくてもそこまで生き抜きましょう。

みなさんならきっとできます。

*肝心の「生きる意味」はこちらの記事で解説しています。

生きる意味はある!現役高校生が人生の価値を語る。仏教に説かれている「生きる意味」って知っていますか?最近は虚無主義や反出生主義といったふうに「生きる意味はない」と主張する人が多いですよね。でも仏教ではそれらは間違いだと明確に言われているのです。じゃあその「生きる意味」って一体何なんでしょうか?...

この記事のまとめ

ここまででしてきた話というのは、仏教の中でも最深部にある話です。

なのでこのサイトで一般公開していいか正直すごく迷いましたが、それでもこういう内容を待ち望んでいる方もいるだろうと思って公開しました。

それでも、仏教の最深部なので全部はわからなくて当然です。笑

でも仏教の深い教えの雰囲気だけでも感じていただこうと思って今回この記事を書きました。

でも一番覚えておいてほしいのは、私たち1人1人の人生にかけがえのない価値があるということです。

その生きる意味を果たすまでは、どんなにつらくても生き抜きましょう。

ここまで来れたみなさんならきっとできます。

今までつらかったかもしれませんが、これからは自分の足で自分の人生を塗り替えていきましょう。

編集後記

文面だけでは伝わりづらい部分もあったと思いましたが、わかる人にはわかるかなと思ってめちゃくちゃ深い部分まで書きました。

過去の私もそうでしたが、中には本気で生きる意味について考えて自殺しようかと迷っている方もいるんですよね。

99%の人にはわからない内容でも、たった1%の人でもわかってくれれば私は本望です。

もし私が大衆受けを重視して本当の仏教のすごさを書かない日がやってきたら、そういう1%の人は絶対に救われないですよね。

私は今さら大勢の不特定多数の人を巻き込みたいとは思っていないし、これからも自分の信念である「生きる意味」を叫び続けます。

それで救われる人が1人でもいれば、私の今までの苦労が報われます。

そして同時に、自分の信念は正しかったんだと再確認すると思いますね。

それが私の想いです。

肝心の「生きる意味」はこちらの記事で解説しているので読んでみてください。

生きる意味はある!現役高校生が人生の価値を語る。仏教に説かれている「生きる意味」って知っていますか?最近は虚無主義や反出生主義といったふうに「生きる意味はない」と主張する人が多いですよね。でも仏教ではそれらは間違いだと明確に言われているのです。じゃあその「生きる意味」って一体何なんでしょうか?...

ではここまで読んでくださりありがとうございました。

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